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ドキュメンタリー映画「無知の知」の石田朝也監督インタビュー(2)

パルシステム特別協賛映画「無知の知」が2014年秋、東京・中野区の「ポレポレ東中野」を皮切りに全国の劇場で上映されます。石田朝也監督に、映画に込めた思いや撮影を通じて感じたことなどを語ってもらいました。
移住か帰還か――深まる苦悩
――撮影を通じて印象に残った人はいますか。
監督:出会った1人ひとりが忘れられませんが、震災前まで浪江町でふとん店を営んでいた方を挙げたいと思います。一時帰宅していた姿を偶然見かけたときは、話しかけても笑顔がなく、すべての希望を失ったような表情でした。
その方は、別の地域への移転を決意し、新しい職を得て生活しています。別人のように生き生きとインタビューに答えてくれました。先日、映画ができた報告を兼ねて訪れたのですが、そしたら「働いているから」と、回転すし店でおごってくれたんです。そのときは、うれしくてたまらなかったですね。
原発周辺の地域では、避難指示が解除されたり、居住が許されたりする再編が進んでいます。しかし新居へ移ることを決意した人は、まだ少数です。帰るべきか、移住するべきか、悩んでいます。本当に伝えるべきことは、これから増えてくるかもしれません。

――映画では、福島県内で生活している人のほか、事故当時の政府関係者や原発推進を主張する人にも会っています。
監督:撮影中はスケジュール上、福島で被災したみなさんに会った翌日に、当時の政府関係者や原発推進を主張するみなさんに会うこともありました。話を聞く間、それぞれの顔が浮かんでないといえばうそになりますが、なるべく頭を切り替えるようにしました。
官邸関係者の話には、ほかの出演者も知らなかったことがあったようです。班目春樹さん(事故当時、内閣府原子力安全委員会委員長)の「知ってました」発言には、菅直人さん(当時首相)が激高されたとか。なにを「知っていた」のかは、映画をご覧ください(笑)。

私は運命論者ではありませんが、撮影するにつれて「何かに撮らされている」「導かれている」という不思議な感覚に何度も襲われました。周りから「それは難しいからやめよう」と言われていたインタビューが、ことごとく実現したのは、いま振り返ると不思議です。
細川護煕さん(元首相)へのインタビューも、そのひとつです。関係者とは撮影前から、なぜか「細川さんに会いたいね」と話していたのですが、それが実現し、まさかそのあと都知事選へ立候補するなんて、想像もしていませんでした。
先入観なく「声」を聞いてほしい

――映画が完成してほっとしているのではないですか。
監督:これだけ多くの出会いがあっただけに、映画という短い時間へそれぞれの思いを詰め込む編集作業は、悩みぬきました。なかには1回も登場させることができなかった人もいて、いまも「それでよかったのか」と迷っています。だから「完成」とは思っていません。
それだけに、多くの人々の思いに押されて、つくることのできた映画だと思っています。原発事故で避難している人、事故対策に追われた人、原発が社会に貢献できると考えている人――それぞれの「声」を集めることができました。
映画の制作によって、原発事故がもたらした被害を知ることができた一方、果たして脱原発が実現できるのか、悩みは深まっています。それらの悩みも含めて、さまざまな思いを1本の映画に込めたつもりです。先入観なく映画見てもらって、「声」を聞いて、少しでも多くの人に、自分たちの未来について考えてほしいですね。

石田朝也(いしだともや)
1967年6月7日、静岡生まれ。ESRA(パリ映像高等専門学校)卒業。
NHKドキュメンタリー番組や海外作品や合作映画に携わる。
2005年ドキュメンタリー映画「成瀬巳喜男・記憶の現場」で監督デビュー。
日本の映画史に残る監督の軌跡を交流のあった俳優やスタッフの証言を基に3年の歳月を費やして制作。国内外から高い評価を得る。
福島原発事故をテーマとした本作品“無知の知”は2作品目にあたる。