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ドキュメンタリー映画「無知の知」の石田朝也監督インタビュー(1)

パルシステム特別協賛映画「無知の知」が2014年秋、東京・中野区の「ポレポレ東中野」を皮切りに全国の劇場で上映されます。石田朝也監督に、映画に込めた思いや撮影を通じて感じたことなどを語ってもらいました。
立ちつくしぽつり「見ちゃったね」

――福島での原発事故から3年半が経過してからの映画公開となりました。制作するに至った経緯を教えください。
監督:撮影を始めたのは、原発事故から2年が経過した2013年春になります。
元々は、原子力に対する関心は薄かったほうだと思います。事故から2年が経過し、原発事故の被害にあった福島県について、ほとんど思い出さなくなっている自分に気づきました。そこで「何もしていなかったことに対する罪悪感」のような感情がわいてきたのです。自分に何ができるかを考えたときに出た結論が、映画でした。

――映画では福島県内の各地を訪問しています。
監督:初めての撮影で福島県に向かう道中は「いまさら行ってどうなるだろう」と自問しながらでした。最初に向かったのは、避難区域に指定されている南相馬市小高地区です。街灯が点っているのに誰ひとり人影のない小高駅前は、異様な光景でした。復興報道ばかり触れていた私にとって「変わっているはず」と信じて行ってみたら、なにも変わっていなかったのです。衝撃でした。ぜんぜん「いまさら」ではなかったのですから。
富岡町の海岸沿いの景色も忘れられません。ほとんど片付いていないがれきを前に、カメラマンと2人で30分以上、言葉も出ず、ぼう然となりました。そのとき、カメラマンがぽつりと「見ちゃったね」と言ったんです。「もう後には引けないね」という意味だったと思います。作品を通じて現状を伝える責任を感じ、覚悟を決めた瞬間でした。
そのほか福島県のほとんどの市町村を回り、仮設住宅に避難されているみなさんをはじめ数えきれないほどの人と会うことができました。彼らに対する思いは、聞けば聞くほど複雑で、すべて理解することは不可能です。だから「元気になるまで、みんなと会い続けよう」と決めました。それはいまでも続いています。
タイトルの元はソクラテスから
――映画のタイトルは悩んだそうですね。
監督:撮影を始めるにあたり「自分は知らない」ということを前提に話を聞こうと決めました。「知った顔をすることだけはやめよう」と。原発事故の被害に会った人、原発事故対策に奔走した政府関係者、「原発ムラ」と呼ばれる原発推進論者、すべての人に対しニュートラルな立場であることを心がけ、撮影に臨んできました。
こうした意味を込めたタイトルが「無知の知」です。元は、ギリシアの哲学者、ソクラテスの言葉です。9歳の時に尊敬する叔父から初めて教えてもらい、それ以来、自分の心に存在し続けていました。でも、それが映画のタイトルとして浮かんでこなかった(笑)。関係者とけんかしながら、ようやく決まりました。

石田朝也(いしだともや)
1967年6月7日、静岡生まれ。ESRA(パリ映像高等専門学校)卒業。
NHKドキュメンタリー番組や海外作品や合作映画に携わる。
2005年ドキュメンタリー映画「成瀬巳喜男・記憶の現場」で監督デビュー。
日本の映画史に残る監督の軌跡を交流のあった俳優やスタッフの証言を基に3年の歳月を費やして制作。国内外から高い評価を得る。
福島原発事故をテーマとした本作品“無知の知”は2作品目にあたる。