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社会貢献活動レポート

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第70回 3・11東日本大震災 復興のためにパルシステムができること


▲炊き出し支援に被災地を走るパルシステムのトラック

パルシステム福島
専務理事 安齋 雄司さん

パルシステム連合会
庄司 美郷さん

2011年3月11日、東北地方三陸沖でマグニチュード9・0の大地震が発生しました。強い揺れによる建物の倒壊、その直後に襲った大津波、さらには原子力発電所事故などが重なり、死者、行方不明者あわせて2万3千人以上(6月13日現在)の犠牲者を生む大惨事となりました。パルシステムグループでは地震発生直後から、緊急支援物資の提供や避難者への炊き出し、共済の訪問活動などを通じて被災地を支援してきました。パルシステムの会員生協でもパルシステム福島をはじめパルシステム茨城、パルシステム千葉のエリアは大きな被害を受けており、組合員が普段の生活を取り戻せるような支援活動をしています。「完全な復興には10年かかる」ともいわれる今回の大震災。復興へパルシステムができることを探ります。

「もしかしたら…」増す不安 深夜にようやく無事を確認

2011年4月1日にパルシステム連合会で行われた入協式。緊張の面持ちで臨む新入職員のなかに、パルシステム連合会の庄司美郷さん(現在はパルシステム東京練馬センターへ出向中)の姿がありました。

庄司さんは、生まれも育ちも福島県いわき市です。震災発生時、庄司さんは大学の卒業を前に鹿児島にいました。テレビで震災の発生を知り家族の無事を確認しようとしましたが、電話はつながりません。友人もいっしょになって実家へ電話してもらい、夜の12時を回ったころにようやく無事が確認できました。「実家は高台にありましたが、農業を営む畑が海の近くにあるため、連絡がつくまでは『もしかしたら』と不安が増す一方でした」と、庄司さんは目を潤ませながら当時を振り返りました。

風評被害でモノが来ない ガソリンがなく避難もできず

「みなさんにいちばんお願いしたいのは、風評被害の防止です」とパルシステム福島の安齋雄司専務理事は訴えます。  福島県は、地震と津波だけでなく、福島第一原子力発電所の事故でも多くの避難者を出しました。いわき市は避難指示地域にはありませんが、原発事故の影響を恐れて食品やガソリンなどの物資が輸送されず、深刻な物資不足が発生しました。店舗には商品が届かず、入店制限のなか3時間も4時間も並ぶ光景が続きました。庄司さんの家族は避難するにもガソリン不足で動くことができず、隣家の厚意で車を借りてようやく一時避難できたそうです。

避難先でも福島県から来た人に対する誤解と偏見が辛いできごとをもたらしました。庄司さんの友人は、車に「福島ナンバーは出て行け」と張り紙されたといいます。パルシステム福島でも、組合員が震災前に依頼していたピアノ調律を業者から断られたそうです。「それまで福島のことはなんとも思ったことがなかったのですが、そうした話を聞くたびに悲しみがこみ上げてきます」(庄司さん)。

組合員や学校、地域へ食品提供 パルシステム福島のふんばり

▲5月10日~13日 宮城第6次支援では果物も喜ばれた

▲炊き出しはどこでも好評

▲いわきセンター近くの湯本第二中学校(兼避難所)にて。生徒の給食用と避難者用に、あんぱんを提供

▲3月15日から先遣隊として岩手県を調査した鈴江さん(左)とパルシステム東京の的屋さん(右)

▲販売した商品。産直産地のナカショクさんから提供いただいた卵や豚肉も…(パルシステム福島)

▲いち早く組合員へ商品提供(パルシステム福島)

こうしたなか、パルシステム福島では、組合員のみなさんへ食べ物を届けようと、震災で組合員に配達できなかった商品や、畜産産地のナカショクから差し入れられた豚肉、たまごなどを地元住民へ提供しました。「一時帰宅していた父も『びっくりした』と話していました。いつまで続くかわからない状況のなか、本当に喜んでいました」と庄司さんは教えてくれました。

4月に入ってからは、給食を提供できない学校に対して、パンや牛乳などを小中学校へ提供しています。きっかけは、ある中学校の校長の呼びかけでした。インターネットで窮状を訴えたところ、それを見たフィリピンのJICA職員から、静岡のNPO法人ホールアース研究所、パルシステム静岡の上田由紀理事長へと伝わり、安齋専務のもとへ届きました。「実は、その校長は私の高校時代の同級生で、現在も『隣組』だったのです。人のつながりの大切さがこれほど感じられる経験はありませんでした」(安齋専務理事)。

パルシステム福島は、避難指示地域内に位置する相双センターが営業を停止しているものの、残る郡山センターといわきセンターは活動を再開しています。再開後の受注は順調です。「避難した人が戻ったときに笑顔で再会できるよう、がんばります

海水、焦げ、腐臭――被災地は想像以上の光景

震災発生直後、支援先遣隊の一員として岩手、宮城両県を視察したパルシステム連合会の鈴江茂敏セカンドリーグ支援室長は「光景は報道されているとおりの状況でしたが、押し寄せた海水、火災による焦げ、ごみの腐敗――それらが入り混じったにおいが印象的でした」と振り返ります。

震災発生から1週間も経たずに視察した岩手県では、まだ降雪も止まず、夜間は気温が零下となるような気候でした。「そんな厳しい環境のなか、学校などで避難生活をおくる被災者がいました。燃料不足は深刻で、ガソリンが給油できないため避難所にいる家族も迎えに行けません」(鈴江さん)。先遣隊は視察の道中で、避難所にいたいわて生協職員の家族を引き取ることができたそうです。

それから1カ月後、鈴江さんは宮城県石巻市での視察に臨みました。「震災直後の岩手では、どうしていいかわからず〝ぼう然としている〟被災者の姿が多くありました。それが泥をかき、がれきをのぞく作業がはじまり、少しずつですが笑顔が戻っているように感じます。本当に少しずつですが」。

「久しぶりに笑ったよ」「初めて温かいもの食べた」

先遣隊による調査と調整から、パルシステムでは以前から交流のある、あいコープみやぎと連携して、炊き出しを中心とした支援を続けています。実施場所は避難所ではなく、自宅で被災生活を送る人々への支援を柱としました。「学校などの避難所は自衛隊や自治体が常駐してサポートしていますが、小規模なコミュニティは物資も情報も行き届きません。パルシステムの支援隊が作れる炊き出しの量も限られていることも鑑み、当面はこうした炊き出し活動を続けることにしました」と鈴江さんは説明します。

カレーを中心とした炊き出しでは、「(被災してから)温かい食べ物は初めて」と好評だったそうです。また、調理が始まると近隣の人々が次々に集まり、冗談を交えた雑談に「久しぶりに笑ったよ」との声も聞かれました。  政府や企業が復興へ向けた準備を着実に進めていますが、本格的な復興には長期的な支援が求められます。庄司さんは休日を利用していわきに戻り、ボランティア活動に参加することも考えています。

「福島のテレビ放送では、今でも地震発生時のようにテレビ画面が分割されて、放射線量の情報が絶え間なく提供されています。気が滅入っている人も少なくありません。私は研修や業務を通じて産直について学び、人と人が会って理解しあうことの大切さを感じました。福島の人に『東京にも心やさしい人がいる』ことを伝えていきたいと思っています」。  現地で体を動かしたり、支援金を送る以外にも、被災地に思いをはせる、偏見をもたない、メッセージを送るといった小さな行動も、大きな支援につながります。


*本ページの内容は2011年6月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。 あらかじめご了承ください。

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