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![]() ボランティアとして参加した連合会の事業支援・くらしサポート事業本部共済事業部FP事業課長・吉村一正さんに三宅島の現状と、参加した思いについてお話を伺いました。 ![]() |
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吉村さんは「SO2で自由に歩き回ることもできない島に、なぜいま帰りたがるのか」わからなかったといいます。生活に必要なインフラもまだ完全に復旧しておらず、人も戻っていないため店舗も少なく生活は不自由です。島がそんな状況なのになぜ、戻りたいのか、それはふるさとだからなのか、東京のほうが便利ではないのか…。しかし、ボランティアとして島で過ごし、島の人たちと交流しているうちに、『東京の団地に入居した島民にとって、東京という場所がつらかったのではないか、島とは違う人間関係がつらく耐えられなかったのではないか』と思うようになりました。 「おいしいものがあったら隣におすそ分けをする、互いに声を掛け合って暮らす、数少ないインフラをみんなで仲良く使ってきた…島で育まれたやわらかな人間関係、そして『風』…三宅に帰ってきて、『風が懐かしい』と言っていた人がいました。僕も京都で暮らしてから東京に帰ってきた時、同じように感じたことがあります」(吉村さん)。 |
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ボランティアはみんな赤い帽子をかぶっています。空き家になった家で作業をするため、一目でボランティアとわかるようにするためです。吉村さんは、竹芝桟橋で帰りの船から降りるときに、この帽子を見た島民から「ごくろうさま!」と声をかけられたそうです。また、吉村さんと同時期に活動したあるボランティアは、三宅島からの帰りにこの帽子をかぶっていたところ、都内の電車の中で三宅島出身の女子高校生に声をかけられたとのこと。赤い帽子が、そしてボランティアが、島民の皆さんの中で大きな存在になっていることが分かります。帰島支援には897人のボランティアが参加。うち、生協からは112人が参加しました。 2005年9月2日の三宅村の発表によると、同村の帰島世帯は1247世帯、帰島者数は2158人。帰島世帯の割合は75.8%、帰島人数割合は67.6%。SO2の発生がおさまり、ガスマスクなしでも暮らせるようになるまで、まだ時間がかかるのかもしれませんが、一日も早く島の人々の暮らしが戻ることこそ、ボランティアに参加した人々の願いでもあるのです。 |
*本ページの内容は2005年12月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
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