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社会貢献活動レポート

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第71回 震災支援を宮城で展開 「差し伸べた手は離せない」


▲第6次炊き出し隊メンバーのみなさん(後列左から2番目が市川さん、同右2番目が白間さん、前列右端が及川さん)

あいコープみやぎ
専務理事 多々良 哲さん

東日本大震災での大規模な被害を受け、パルシステムでは、宮城県の友好生協あいコープみやぎと連携して宮城県石巻市を中心に炊き出し活動を展開しました。3月31日に第1陣が出発してから6月24日までほぼ毎週、計12陣が派遣され、延べ100名以上の職員が被災地へと向かいました。炊き出しには、震災に伴う計画停電などで組合員に届けられなかったものや、産直産地から提供を受けたさまざまな支援物資が活用されました。炊き出しは回数を重ねるにつれて、単に栄養を摂取するための食べものの受け渡しという役割から、辛い経験を語り、感情を分かち合うコミュニケーションの機会にもなりつつあります。5月10日から13日まで派遣された第6次炊き出し隊に同行し、活動内容と現地の様子を取材しました。

震災から2カ月後の炊き出し
笑顔を取り戻しつつある被災地

「今日はなに? 牛丼か! よし」。炊き出し予定地で準備をしている間にも、徒歩や自転車で地域のみなさんが立ち寄ります。被災者のみなさんが炊き出しを楽しみにしている様子が伝わってきました。

パルシステム東京、パルシステム神奈川ゆめコープ、パルシステム埼玉、パル・ミートからそれぞれ派遣された第6次炊き出し隊は、石巻市を中心に牛丼の炊き出しを実施しました。震災からちょうど2カ月、被災者の生活にはすでに混乱はなく「非日常的な日常」となっているようでした。

震災から2週間後の3月25日から27日にかけて、岩手県陸前高田市の炊き出し活動にも参加したパルシステム神奈川ゆめコープの市川暢利さんは「陸前高田のときは、みな表情がなく、ぼう然自失といった状態でした。それから時間がたち、被災者からも笑い声が聞こえるようになりました。感慨深いです」と印象を語ります。ただし、こう付け加えます。「笑ってはいても、現在の被災者に将来の希望は見えていません。不安をかき消すために笑っているのかもしれません」。

調理を始めると、行列はどんどん長くなり、開始30分前にはすでに100人以上になっていました。職員に語りかける被災者も少なくなく、心の中に溜め込んでいた気持ちを吐き出すように、震災当時の経験を語っていました。

別の星に来たような…

「仙台へ行くと、別世界というか別の星に来たような感覚になります」と話すのは、あいコープみやぎの組合員で石巻市に住む及川由貴さんです。及川さんは、毎週水曜、木曜に実施している炊き出し活動のほぼすべてを手伝ってくださいました。

及川さんの自宅は高台にあり、幸い被害はありませんでしたが、ご主人の勤務先とご両親の自宅が津波の被害に。ご主人はしばらく、平日は職場、休日は両親宅と、毎日泥かきをしていたそうです。

「石巻市では最大120cmも地盤が沈下したそうです。そのため沿岸部では満潮時に海水が流れてくる地域もあり、通れなくなる道路も出てきます。これからどうなるのか、不安はありますが、少しでも被災者のみなさんが元気になってくれればと考え、炊き出しに参加しました」と話しました。

「毎週」の炊き出しが楽しみや外出のきっかけ

▲生野菜も提供し、とても喜ばれました

▲炊き出し準備はチームワークが肝心

▲炊き出しは持ち帰りがほとんどですが、その場で食べる方も

▲女川の漁港では花がたむけられていました

▲石巻漁港では陸に流された大型船がそのままに

▲地盤沈下で満潮時には岸壁が水没するほど

「パルシステムと実施している炊き出し支援が、命の綱になっている人はまだたくさんいます。中長期的でコンスタントな支援が求められています」と話すのは、あいコープみやぎの多々良哲専務理事です。「震災直後はパンや缶詰など、その場で食べられるものが必要でした。時間がたつにつれて、炭水化物だけの食事では体調不良を訴える人が出るようになり、需要は野菜や肉などに移行しました。被災地の需要は、場所や状況によって変化しています。それにこたえる支援も必要です」(多々良専務理事)。

同行して感じたのは、被災地の生活が入院生活に似ていることでした。大規模な被害で、比較的若い世代は泥かきや復興作業に携わることができますが、高齢者はとくに娯楽もなく、かろうじて残された家に閉じこもりがちになってしまいます。炊き出しでの食事だけが外出するきっかけでもあり、1日の楽しみになっているのです。

炊き出し支援をほぼ毎週行っている渡波駅前では、炊き出し隊の到着時から待っている被災者がいました。「昼過ぎには満潮を迎えて道路を歩けなくなるので、早い時間に来て炊き出しをもらうようにしています」と理由を話してくれました。周辺に住む被災者にとって、毎週のように炊き出しに来るあいコープみやぎとパルシステムは、すでになくてはならない存在のようでした。

食事の完成を待つ間、多くの被災者のみなさんが、顔見知りと近況を報告しあっていました。ときには大きな笑い声も聞こえます。炊き出しがひとつのコミュニティをつくるきっかけにもなっていました。

継続支援の必要性 炊き出し隊の全員が実感

震災から2カ月が経過し、石巻市内では公園などがすべて、がれきの集積場として使用されています。それでもなお、さら地となっている場所はほとんどありません。東隣の女川町にいたっては、道路以外まったく手付かずの地域もありました。

こうした光景に接した炊き出し隊のメンバー全員が感じたことは、あいコープみやぎの多々良専務理事も話した「継続支援の必要性」でした。「『がんばろう』とよく言われますが、被災地は十分がんばっていて、これ以上がんばれなんて言えません。それでも『がんばろう』と声をかけあっている被災者を目にして、その言葉の重みを感じました。私たちこそ、今がんばらなければならないのではないでしょうか」(パルシステム埼玉 白間宏将さん)。

パルシステムグループでは、宮城県の炊き出しだけで100人以上が参加しました。また、パルシステム福島では給食や必要物資の支援を実施しています。ほかにも組合員への支援品の提供呼びかけやカンパなど、多くの職員が被災者と接し、手を差し伸べました。「手を差し伸べた以上、その手を離すことはできない」と炊き出し隊メンバーは口をそろえます。少しでも現地の状況を伝え、知恵を出し合いながら被災地の支援を継続していくこと、それが今、私たちにできることなのだと実感しました。


*本ページの内容は2011年7月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。 あらかじめご了承ください。

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