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2004年10月23日午後5時56分ごろに本震が襲い、その後も長期間に渡って大きな余震が続いた「新潟県中越地震」。この地震で被災された方々に対し、私たちパルシステムグループはどのような支援をおこなったのでしょうか。当時の状況、現地での取り組みなどについて報告します。 |
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派遣に向けた諸準備や調整などの実務を担当したのは、連合会運営部で大規模災害対策連絡会も担当している桑原豊課長です。 「当初は現地とのやり取りが上手くいかず、調整に苦労しました。しかしグループ内の調整については、どの会員生協も非常に協力的で、すぐに人やトラックを出してくれました。本当にありがたかったです。このことで、連合会組織の意義を痛感しました」。 2004年10月31日、桑原課長自らが団長となり、いよいよ職員支援の第一陣が新潟へ出発します。 「現地では配送補助、災害対策本部にある救援物資の輸送などをおこないました。配送補助では、新潟県総合生協の職員と私たち派遣メンバーという見ず知らず同士が一台のトラックに乗り込み、配達に向かいます。一番危険を感じたのは配達の行き帰りですね。道路はまったく補修されていません。崩れた道路の片側を通行するといった箇所が多く、雨でも降ったらたいへんです。また外から見ると被害がないように見えるお宅も、家の中は家具が散乱してひどい状況でした。組合員の皆さんは『良く来てくれたねぇ。ありがとう』と感謝の気持ちいっぱいで迎えてくれました。『良く来られたね。どの道で来たの?』と言って、そのまま道路の情報交換になったりしましたね。 そんな緊張の連続ですから本当に疲れました。しかし私たちよりも新潟県総合生協の職員のほうがクタクタなんですよね。それを見ていて、誰が言い出したわけでもないのですが、派遣メンバーは遅くまで自発的に倉庫整理までやっていました。なんの損得の勘定もなく、ただひたすら支援活動に全力を尽くしてくれるメンバーに、本当に頭が下がりました」。 同じく第一次派遣メンバーとして現地で支援活動をおこなったエルコープの加藤博美部長代理、瀬能浩スタッフは、支援後の報告書の中で「現地では、道路が陥没・崩壊しており、家や電信柱が傾いている隣りをそっと走行する状態でした。私たちが支援に入ることで作業時間が短縮できることはもちろんですが、配送職員の方は、『一人で不安にかられて配送することが解消され、その分組合員対応ができる精神的な余裕ができた』と言っていました」と報告しています。支援活動は、組織を超えた生協職員同士の絆を深めることにもなったようです。 |
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| 組合員の皆さんからもたくさんの想いが生協に集まりました。全生協で取り組んだ新潟県中越地震被災者支援カンパです。2004年12月15日(水)、新潟県庁で義援金の贈呈式がおこなわれ、連合会の太田理事長をはじめ、参加した各生協の皆さんから、新潟県出納長
関根洋祐氏に目録が手渡されました。 2004年11月15日〜26日の2週間に寄せられたカンパ金は、24万1032口、7230万9600円。この他にも、店舗の店頭や、商品展示会や生協まつりなどのイベントでも多くのカンパが集まりました。 贈呈式では、組合員さんから届けられた一枚の手紙が太田理事長より紹介されました。この組合員さんは『平日は働いているため義援金を振り込みに行けずに困っている』と言っていた職場のお友だちの分も合わせ、二人分の義援金を振り込んでくれました。 『今回の中越地震は隣町の出来事。新潟のこれからの気候は24年体験してきた私には忘れられない思い出がいっぱいあります。少しですが被災地の皆さまに少しでも役立てていただきたくカンパ致します。一組合員より』 このようにたくさんの組合員の「たすけあいの心」が生協に集まりました。 |
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震災の恐怖を実感した直後であり、いたるところが危険箇所という状況の中、新潟県総合生協の皆さんは生協の業務を続け、援助物資の輸送などにも取り組み始めます。そして、この新潟県中越地震という一地域の災害に対して、日本全国の生協から職員たちが駆けつけました。現地で活動した人だけではなく、派遣に向けたさまざまな準備に携わった皆さん、派遣メンバーの不在を支えた職場の皆さんなど、たくさんの協力があって実現できた職員派遣です。パルシステムグループの職員派遣は第4次派遣まで続き、のべ34名の職員が現地で支援活動に協力しました。支援活動を振り返り、桑原課長はこう語ります。 「初日、中越センターに並んでいるさまざまな生協のトラックを見たとき、『一人は万人のために、万人は一人のために』と言う言葉がまっさきに頭に浮かびました。その後も全国の生協から続々と人やトラックが集まってくるんです。また、明日コープこうべの皆さんが帰ってしまうということで、夜中にもかかわらず派遣メンバーに起きてもらい、こうべの職員の皆さんと情報交換をしたんです。全国の生協のつながりを強く実感しましたね」。 「実際には生協だけではなく、他の行政から派遣されてきた皆さん、ボランティアの皆さんなど、たくさんの方々が、いろんな枠を飛び越えて新潟県に集まっていたんです。しかし、いち早く現地入りをし、支援活動に参加した生協の意義は大きいと思っています」。 現地に2週間も滞在した、マイコープエクスプレスの酒井さんも、「東京マイコープニュース」の中で、「全国の生協から続々と支援に来ていて、改めて生協のつながりの大きさ、重要さを感じました」と書いています。同じ生協とはいえ、まるで別の組織です。それにも関わらず全国的な支援が実現できるのは、全国の生協同士が、それぞれの「地域」や「組織」を超えた「たすけあい」という共通の精神で結ばれているからではないでしょうか。 生協という「場」に組合員と職員の想いが一つに結集され、生協という「つながり」がそれぞれの想いを一つに結びつける。このことは、私たち職員にとって、「生協で働く」ということの大きな意義の一つと言えるのではないかと思います。 |
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